溺れる思索

 シャワー浴びながら考え事を良くするんだけど、わりかし言語化出来そうだったのでブログに書いてみる。シャワー浴びながら考え事ってなんで捗るんだろうか?水の音しか聞こえないから?体を洗うという何も考えずに日々のルーティーンでできる行動がよいのか?視界が奪われていて情報が制限されているからよいのか?

 まあ理由はともあれ考えたこと書いていく。お題は、今俺が欲しいもの。ゲームだとか本だとかそういう日々の衝動は色々あるけれど、大局的に考えるとなんなんだろうと思い考えてみた。答えは「営業力」だった。一番自分に欠けていると思っているもの。
 事実、就職する際も営業でなければなんでもいいって感じに雑に決めた。転職する際もそういう理由で今のIT技術者の職に決めた。だから、周りのガンガン新しいプログラム組みたいとか新技術に触っていきたいっていう同期とは温度差を感じる。仕事をする際に営業職が選択肢に入るのならば、日本全国どこでも暮らしていける気がする。経歴がなく技術がなくだと選択肢がないのは自明だ。もっと自由に居たいと望んでいるから営業力があればなあと思う。
 営業職に就くでないとしても営業力は大事だ。自分のことをいかにアピールするか、伝えるか、知ってもらうか。自分の考えをいかに相手に伝えるかはある意味で営業力のなせる技だろう。自分のことを知ってもらいたい割に伝える手段がないなんてしんどい。
 今の暮らしを変えたいのか変えたくないのか?そろそろ生活に次の展開を入れたいとは思う。それが発展か転換かはまだ判断に困っている。営業力があれば選択肢が広がりそうと思った。東京に来てなるべく人と会うようにして、そんな力を付け焼刃でも手に入れようとしている。何もしないよりはきっとマシだろうと思う。

 シャワーから吐き出されたお湯が俺の思考を溶かして浴室の床にぶつかってた。水の音なのか?床の音なのか?思考の音なのか。シャワーを止めればまた明日。目を瞑ってシャワーを浴びてる時の方が、何かを見ようと必死な気がしてる。眼鏡をつけてよく見える状態で、歩いていても何も見つけられない生活。

お菓子食って可笑しくって笑えない。宅飲みで残ってた麦茶が美味しい。