午前二時三十三分の暗がり

 生き物は遺伝子を残すため繁殖を繰り返す。子孫を残すことで自身の情報をより多く残すことが命題である。子孫を残さないにしても、親兄弟血の繋がりのあるものを助けることで自身の情報と近しい情報を残すことができる。
 遺伝子、自身の情報とはなにを指すのだろうか?塩基配列だというのがまあ普通なんだけど。。人間として生まれた以上、自身の情報がゲノムだけでしか定義されないというのは少しばかり寂しくはないだろうか?思想や言葉こそが自身の情報だと思ってもいいのではないか?自分の思想が伝播し残っていくことが、いまを生きるものの新しい適応度の形でもいいんじゃないか?そんな難しく考えなくても、誰かに口癖が伝わる、言い回しが似てくるそんなことでも自身の情報が残ってることになると思う。
 ツイッターというツールは自分の言葉を効率よく伝播させることができる。伝わった先で受け入れられるかは分からんが、少しでも影響を受けてくれる人がいれば嬉しい。現代での適応度の上昇。そんなことこそ楽しく感じる。仲良くしてくれてるツイッタラーがブログ始めたのを見てちょっとこんなようなことを考えていた。
  
布団から出てる手が冷たい。肩が寒い。明日起きられるかな?寂しさを誤魔化すのにも色々理由がいるんだよなあ。もういまは午前二時五十四分。