午前二時三十三分の暗がり

 生き物は遺伝子を残すため繁殖を繰り返す。子孫を残すことで自身の情報をより多く残すことが命題である。子孫を残さないにしても、親兄弟血の繋がりのあるものを助けることで自身の情報と近しい情報を残すことができる。
 遺伝子、自身の情報とはなにを指すのだろうか?塩基配列だというのがまあ普通なんだけど。。人間として生まれた以上、自身の情報がゲノムだけでしか定義されないというのは少しばかり寂しくはないだろうか?思想や言葉こそが自身の情報だと思ってもいいのではないか?自分の思想が伝播し残っていくことが、いまを生きるものの新しい適応度の形でもいいんじゃないか?そんな難しく考えなくても、誰かに口癖が伝わる、言い回しが似てくるそんなことでも自身の情報が残ってることになると思う。
 ツイッターというツールは自分の言葉を効率よく伝播させることができる。伝わった先で受け入れられるかは分からんが、少しでも影響を受けてくれる人がいれば嬉しい。現代での適応度の上昇。そんなことこそ楽しく感じる。仲良くしてくれてるツイッタラーがブログ始めたのを見てちょっとこんなようなことを考えていた。
  
布団から出てる手が冷たい。肩が寒い。明日起きられるかな?寂しさを誤魔化すのにも色々理由がいるんだよなあ。もういまは午前二時五十四分。

溺れる思索

 シャワー浴びながら考え事を良くするんだけど、わりかし言語化出来そうだったのでブログに書いてみる。シャワー浴びながら考え事ってなんで捗るんだろうか?水の音しか聞こえないから?体を洗うという何も考えずに日々のルーティーンでできる行動がよいのか?視界が奪われていて情報が制限されているからよいのか?

 まあ理由はともあれ考えたこと書いていく。お題は、今俺が欲しいもの。ゲームだとか本だとかそういう日々の衝動は色々あるけれど、大局的に考えるとなんなんだろうと思い考えてみた。答えは「営業力」だった。一番自分に欠けていると思っているもの。
 事実、就職する際も営業でなければなんでもいいって感じに雑に決めた。転職する際もそういう理由で今のIT技術者の職に決めた。だから、周りのガンガン新しいプログラム組みたいとか新技術に触っていきたいっていう同期とは温度差を感じる。仕事をする際に営業職が選択肢に入るのならば、日本全国どこでも暮らしていける気がする。経歴がなく技術がなくだと選択肢がないのは自明だ。もっと自由に居たいと望んでいるから営業力があればなあと思う。
 営業職に就くでないとしても営業力は大事だ。自分のことをいかにアピールするか、伝えるか、知ってもらうか。自分の考えをいかに相手に伝えるかはある意味で営業力のなせる技だろう。自分のことを知ってもらいたい割に伝える手段がないなんてしんどい。
 今の暮らしを変えたいのか変えたくないのか?そろそろ生活に次の展開を入れたいとは思う。それが発展か転換かはまだ判断に困っている。営業力があれば選択肢が広がりそうと思った。東京に来てなるべく人と会うようにして、そんな力を付け焼刃でも手に入れようとしている。何もしないよりはきっとマシだろうと思う。

 シャワーから吐き出されたお湯が俺の思考を溶かして浴室の床にぶつかってた。水の音なのか?床の音なのか?思考の音なのか。シャワーを止めればまた明日。目を瞑ってシャワーを浴びてる時の方が、何かを見ようと必死な気がしてる。眼鏡をつけてよく見える状態で、歩いていても何も見つけられない生活。

お菓子食って可笑しくって笑えない。宅飲みで残ってた麦茶が美味しい。

半透明失明

 会社で仲いい人々と我が家ですき焼きパーティーをしました。最近はパリピ分がものすごいのでヤバイよ(?)。呼んだメンバーはもはや互いに気を使ったりしない仲なのでとても楽ですね。後輩ちゃんは気を使ってくれているけれどそれには甘えておこう。

 

 まあみんなそれなりにいい年なので酒が進めば人生とは?幸せとは?みたいな話になってしまいます。俺たちは弱い人間なので、幸せの大枠は誰かと人生の時間をいかに共有できるかに集約して考えてしまう。自分だけで上手く歩ける人は、また違う幸せの枠組みが見えているのかなあと想像だけしてる。結婚間近のやつとか、彼氏と同棲しているやつ、お見合いを考えているやつ、とりあえず二次元と言っておくやつ。しあわせになりたいと思うけど、俺の幸せは何?と聞かれてもなんて答えればいいのか分からんかった。そのへんで女の子引っ掛けてセックスすればいいじゃんと言われた。適当に彼女作ってキャッキャすればいいじゃんと言われた。それならどっか風俗行ったほうが精神衛生上良さそうだなあとおもった。ある面では今の生活に満足しているんだろう。飲んだり遊んだりできる友達が身近にいてそれで時間をやり過ごせる。彼女なりパートナーなり相方なりなんなり欲しいとは思うけれど、どこかやっぱりまだ怖いんだと思う。まだ自分の中では片付いてない部分が多い気がしているから。

 

 二十代後半ってなると、まだわからない事柄はあるにしても大体将来の選択肢が固定されてしまっていると思う。選ぶようなことはあるとは言っても、転職、結婚くらいがせいぜいでしょう。転職に至ってはあまり考えた人生じゃなかったせいでそもそも選択肢なんてほぼないし。お金があればある程度幸せなのは間違いないけれど、老後を考えるほど長生きしようとは思っていない。それなりに見えていることが多くなったせいで、見えなくなったものが多いね。

 

クレイジーくれ意地。そこのゴミ袋取ってよ、残飯詰めるからさ。

皿洗って、シャワー入って、明日はゴミの日じゃないって気付こうか。 

明けまして賀正

 謹賀新年明けましておめでとうございます。謹賀新年ってどういう意味か分からんけど使っています。意味がわからない言葉を流されて使っていく僕たちは、そのうちすべての意思を流れに任せてしまうんだろう。特に意味はないです。
 
 とりあえず年も越えたので、今年の目標を立てようと思います。分かりやすいとこでは一個資格取ろうかなとは思います。応用情報狙えたらいいんだけど、めんどくさくなりそう。javaあたりのベンダー資格狙うかもですね。
 ちなみに去年の目標は結婚するだったんですけど今年も継続目標にします。5年くらい継続目標にしとくわ。

 色々と遊びまわりたいので去年遊んでくれた人たちまた遊ぼう。新しく遊びに行ける人も歓迎したい。やりたいことはいっぱいあるかもしれん。本当にやりたいことかどうかは分からん。現実から目を背けられるなにも考えなくていい時間が欲しいだけかもしれん。

 ブログももう少し更新頻度上げたいなあと思います。ただ書くことがあまりないので、自分のスタイルを確立させ型を意識しながら記事書いてくことができるようになればなと思います。

それでは本年も何卒よろしくお願い致します。
ハッピーニューイヤー!!

寝れない夜のお供に

 寝れないんで書きます。ブログ書いてる人の憧れNo.1記事(?)はやっぱり映画のレビューだと思うんですよね。それも流行りに乗ったアクション映画(立川で爆音上映とかやってるやつ←偏見)ではなく、フランス映画とかフィンランド映画だとかの知識階級人御用達のような映画レビュー。これやってる人はかっこいいし、頭良さそうだし、なんか洒落乙なリストランテでワインを頼み、年代とか銘柄とかを聞かれてもないのに言ってそうだよね(特定の個人を批判する意図ではありません)。だから俺も映画レビューを書いてみようと思いました。でも映画見てないので架空の映画をレビューします。

 

 「モン・ルージュの西方へ」を観ました。久々にフランス映画だったんだけど、余り癖がなくすんなり入れる世界観でよかった。監督はオーバン・アラス。前作までの壮大な作りから一転し、故郷の町に15年ぶりに帰ってきた男の視点を細やかに描き切った作品。前作のファンからは批判が集まりそうだけど、僕は今作のミニマルな感じが、監督の新境地を開拓できてて好感が持てた。展開は本当に地味であらすじだけで満足できる人はwikiで十分だと思うww。この作品の見所は路地裏の湿気や、坂の上のパン屋の匂い、丘を駆ける風の爽やかさ、使い古した万年筆の軋み等々の臨場感を絵だけで表してるところなんですよね!言い忘れていましたがこれは「ほぼ」無声映画です!!最後のシーンは、せっかく帰ってきた街にも見放された男がつぶやく別れの台詞なんですが、ここだけ音声が入っています。この台詞を大どんでん返しと取るか、ハッピーエンドと取るか、バッドエンドと取るか見る人によって意見が異なるっていう凝った作りになっています。ちなみに僕は一回目はバッドエンドと思いましたが、中盤の伏線に気づいたあとに見た二回目はハッピーエンドに感じました。どんな伏線かは皆さんの目でお確かめ下さい^^

「モン・ルージュの西方へ」☆☆☆☆★ 4.0/5.0

 

 いや、ごめんて深夜に書いてるから許してよ。こういうのたまにやるかも。飽きずに読んでな。またね。

 

ベリーメリークリースマイリー

 メリークリスマス。頭の中がハッピーな人も下半身がハッピーな人も何にもハッピーじゃない人もメリークリスマス。クリスマスだからといって特別な事はないし、ツイッターのネタとしてはちょうど良いってくらいだよね。クリスマスな事よりも、今日で仕事納めだった事が嬉しいね。早く転職したいなあ。サンタさん僕に職をください。

 年末特に実家に帰らないから暇です。東京でできる年末の遊び方、なんかいいのあったら教えてください。モンハンも進めたいけどすぐ疲れちゃうのよね…。歳だ。年越しだ。ほんとは一度くらい年越し飲み会やりたい。3、2、1!ハッピーニューイヤー!!!ドンドンパフパフってやってみたい。遠くで花火の音を聞く年末は飽きた。去年は人がいるかなと思って新年の池袋を徘徊してみたけど思ったより人がいなく寂しかった。帰り道にあるお寺で新年のお神酒振舞ってたから巫女さんにお酌してもらったのは良かった。今年は何ができるだろうか。何もないか。まあそれも良い。

なんかそこらへんの話

 基本的に私はタイトルを決めてから記事を書き始めるんだけど、今回はタイトルが浮かばなかったんだなあと思っていただいて結構です。内容も浮かんでないですが書き始めています。
 
 昨日今日あたりで思ったことを羅列していこうかなと思いますね。なんか気づきが生まれればラッキー。

 昨日の話。初めて宝クジを買いました。今まで買ったことがなかったんですが、買いました。買わずにいた理由が、買う前までは絶対に宝クジに当たるけれど買わないから当たらない人間だった自分が、買った後には普通に外れる人っていうしょうもない感じになるのが嫌だったからです。今回買ったのは当たる気しかしないので買いました。当たったらフォロワー集めて万札ばら撒いて拾え拾えー!ってやる会を開きます。

 昨日から今日にかけての話。なんかたまたま夜に電話することがあって、長々と明け方まで電話をしていました。人の話聞くの好きだからこういうの良いね。普段は会社行って帰る生活だからそのあたりの人としか喋らないけれど、全く違った場所に存在する人の話は新鮮だ。私は話しやすいことに定評があるのでよろしくお願いします(突然の自己PR)。

 今日の話。夢を見ました。昼寝してたら。こたつで寝てたら嫌な夢見ました。明かりをつけてこたつで変な体勢で寝ると夢を見やすいよね。変わってしまった世界と、変われない自分と、変わることで変わらない関係性を保ち続ける人々の夢。取り残されてるなあと感じる。最近になって精神性が二十代前半で止まってることに危機感を感じはじめている。より良くなりたいとは思ってるけどビジョンがないよ。変わらずに今のまま今が続けば楽なのに。

 ついさっきの話。雨の中スーパー行って、クソ不味いローストチキンを買って、食べて、不味いなあってツイートして、祝日が終わりそうで、明日は仕事で、クリスマスイヴで、またツイートするんだろうなあって思って、寂しさについては最近また慣れてきてて、でも不毛さを感じてる。さっきみかんも買ってきたから明日はこたつでみかん食べよう。

ハッピーメリークリスマス

 あっクリスマスってクソスマス(糞済ます)と似てるよな!

じゃあまた明日